日記

ただの日記

配慮の無さをどうやって許す?許すさない?

自分って配慮が足りないなと思う。人への気遣いが足りないなと。

あの時なんであんなことを言ったんだろうかとか?失礼なことをしたな、とか考えてぐるぐるぐるぐる後悔する。といっても小さなことなのだ。例えば、頂いた名刺の相手の名前の箇所を持っちゃったな~とか、敬語の使い方が間違っていたな~とか、人を待たせてしまったときのお詫びの言葉が適切でなかったな~だとか、言葉遣いの面でいうとそんな感じ。

はぁ、やってしまったなと後悔する。そして後悔が多いと人と会うことが億劫になるし、自分で気をつけないといけないと思っていてもやって失敗するので傷つく。気をつけていることをしちゃうとより傷つく。そして傷つきたくないからやんない、逃避するということが多かった。

 

んだけども最近年をとって思うのは、もういいかなと・・・。多少の配慮の無さだったり、失礼なことは人間だししちゃうし、いいかなと。許してくださいな、と思えるようになってきた。そうでもないと介護をしていると病院いったり施設探しをしたり、デイの方とのやり取りとかあるのに、何もできなくなっちゃう。ある程度のことはもういいかなと自分に対して寛容思えるようになってきた。

 

ケアマネさんにちょっと母事で手配をお願いしているのだが、依頼をして今日で3日目。まだ連絡がこない。「あとでまた連絡をしますね」と言っていたのにまだ連絡がこない。なんたることだ、、、とちょっとイラっとも本音をいうとすることもある。だって連絡があったらすぐとれるように携帯電話をすぐ手元に置いて意識している時間が多いものだから、その分の心的負担がかかっているのでちょっとぐらいイラっとはそりゃする。ただ連絡が遅くなる配慮のなさのような、失敗のような、そういうことがケアマネさんにもあってよかったなと「ありがとう」と思ったりもする。そう思うことにしたフシもある。相手の配慮の無さが1つあったので今回の件の自分の心理的負荷だと、2個3個失礼なことをしてもお互いさまだよな~とありがとうありがとうケアマネさんと思えたりもする。自分の今後の失礼なことをしても良い値、配慮無さ行為OKの残高が増えた感じ。

 

そういえば、先日あまりにも自分が人と会話をするのが下手くそなものだから、孫と話すような感じで人と話せばいいのではないかと考えていた。孫と話すように話せばたよりない発言をしすぎることもないし、依頼をするときもどうしようこうしようと悩まずに、これがいいです!とばしっと伝えることができるんじゃないかと。大人としての行動というかなんというか。そんな風に考えいるときにケアマネさんと電話でやりとりをする機会があった。

どんば場面かは忘れたのだけど、なんか最近の母の調子とか伝えていた場面で「そうなんですよね、今大変なんですよね」とか話したあとにケアマネさんの言葉への相槌を打つときに「なっ!」というため口がなぜかしらんが出てしまった経験がある。うーん文章にすると難しい、とくに会話文が難しくってなんといえばいいかわからないけど、明らかに流れ上おかしい場面でのため口、しかも「そうなんですよね~ なっ!」という違和感のあるため愚痴流れ、電話越しでもわかるケアマネさんのいったい何が起こったんだという沈黙のような微妙な雰囲気。あわててこのミスを挽回するべく、「はい!はい!かしこまりました!」と普段よりことさら丁寧に話して、今のため愚痴の「な」はなかったことにしたい自分。電話を終えてから30分ぐらいすんごいへこんだし、あーまた失敗したなーとか思ったけども、まぁどうでもいいやと思っちゃう自分もいる。書き言葉タイプの自分にとって会話の瞬間で適切な言葉を紡ぎださないといけないのはハードルが高いのよ。もう何年も悩んだけどこの点はもう諦めた。多少の失礼な行為や配慮の無さは仕方がない。

 

そして、今回ケアマネさんも連絡が遅いので先日電話でのため愚痴件はこれでチャラにできるな、いやもう1つぐらい失敗してもいいよね。